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spamの行方はどうなるべきか?
〜spamの行方とインターネット私論〜

2001/3/1 初版
2002/01/28 1.3版

インターネットの快適性と実名主義

 私がインターネットを始めたのは工学部の研究室時代でした。インターネットが軍事技術から開発されたのは時々話題になることですが、それが発展したのは、明らかに理系の大学研究室を結ぶネットワークからでした。そのためか、当初インターネットでは「実名主義」が非常に一般的でした。ところがその後、インターネットが広がるにつれ、次第にネット上では「匿名」を名乗ることが当然となり、逆に「実名で名乗ることは危険」などとまで言われる始末となりました(;_;)。

 一方で、インターネットとは発祥を異にする「パソコン通信」というものがあり、そこでは匿名いわゆる「ハンドルネーム」を名乗るのが一般的でした。そのため、「ネットはもともと匿名で名乗って当然なのだ」という風に言う人がいます。しかしパソ通では実はフォーラム管理者により発言は規制され、さらにパソ通提供会社による規制されるという、二重の規制・監視、言い替えれば保護がありました。その中においては被害者となっても苦情先は明確で、また悪質利用者は簡単に特定されました。

 しかしインターネットは違うのです。もともと自律分散的に発生したインターネットには全体を統制する権限のある機関はありません。その分、各利用者には一層のモラルとマナーが要求されます。その基本は私としてはやはり実名で名乗ることだと考えます。実際、匿名性による身勝手なネット上での発言が、他人を傷つけ、騙し、トラブルを発生させる大きな要因になってきたと私は考えます。

 一般に「匿名性」の問題は自由を守るものなのか壊すものなのかという点で、非常に難しい問題ですが、現在のインターネットは少なくとも仮名(匿名)により悪事を働く者が多いが故に、一般の人も仮名(匿名)でいたほうがよいという悪循環を生み出してしまっています。

 しかしいずれにせよ、インターネット上のトラブルが、コミュニケーションの不具合だけだったならば、まだ問題は軽かったのです。なぜならば慎重に付き合えばそれらのトラブルに卷き込まれることは希だからです。けれどもネット上の匿名性はとうとう一番厄介な問題を引き起こすこととなりました。それがspamなのです。

 spamメールの差出人はほぼ必ず匿名であり、しかも送信アドレスでさえ偽物であることは珍しくありません。私はspamメールはインターネットの持っていた匿名性が、もっとも醜く現れたものだと感じています。


2●憎々しいspam

 私の所へ届くspamは以前は月に2〜3通だったようです。その時には 「まあ資本主義の世の中だしな」とか思っていました。 しかしある時から突然量が増え、一日平均一通以上となったのです。



 上の図はspamの累計ですが2000年10月から突然急上昇したことが分かります。2004年3月現在、上のペースはさらにひどくなって継続しています(参考:「spamの被害状況の調査と分析」)。おそらく2000年10月の時点で、どこかのアドレスリストに私へのメールアドレスが載せられ、転売され始めたと考えます(後述参照)。

 さて、送られてくるspamメールの内容と言えば....

 男性だから興味がないわけではないけど、それでも強制的に毎日のように紹介されれば流石にウンザリもしてくる情けないうたい文句のアダルトサイト広告
 大学再入学という家賃2万5000円の生活を送っているのに全く「興味のない贅澤品」を宣伝する広告メール
 これら二つは自分が本当に必要なものだったら、 いくらでもネットサーフィンして探して安い値段で手に入れます。 定期的に情報が欲しかったら自分でメーリングリストなりメールマガジンに入ります。
 こちらが欲している情報も環境も知らないのに送ってくる無神経さ!

 そんなにおいしい話なんてないのに、何十年以上前から繰り返している ねずみ講マルチ商法。それら被害を拡大させるマルチ商法に関する消費者のあまりの無知!
 法さえくぐれば、あるいは複雜にして分かりにくくすれば、無限連鎖でも 最後は破綻しないと思える、あまりの考え方の単純さに対するため息。 あるいは確信犯だったらその悪意の憎たらしいこと!

 「削除してくれ」といってもしてくれない送信者のネットマナー欠如と誠意のなさ!

 普通のDMやチラシは破って「すっきりする」部分がありますが、 電子DMはそういう利点(?)もない。 加えて、メールアドレスの販売やメール広告請負人を募集するらしき勧誘メール

 そもそも私はクレジットカードの余計なDMでさえ断るような人間で、他人から勧誘されても安易には断固として買わない主義。欲しいと思った物を欲しいと思った時に買うのです。

 余計な広告なぞ見たくもないから昔から高い金を払って有料インターネットのサービスを利用して来たのに、どうして今更自分の金で余計な広告メールを見て、それに時間を割かねばならないのでしょうか!!

 そんな広告を出したきゃ広告を商売としているネット上の広告で成り立っている無料インターネットサービス会社があるでしょう!?そこを利用すれば、広告を見せられる側もそれを承知しているんだから大手を振って広告を出せるはずです。手に入れたアドレスリストに直接送りつけるなんて商売のモラル違反の何者でもありません!

 というわけで、とうとう私も一ヶ月弱で「切れた」のでした(-_-;;)。


3●spam対策はプロバイダーがしっかりすべきである
    〜
spam撲滅の為の体制づくり〜

 前述のようにインターネットが中央集権的な統制機関がない以上、どこが取り締まるべきなのでしょうか?これに関しては様々な意見がありますが、私は送信者がほぼ必ず関わるインターネットプロバイダー、もしくはメール提供サービス会社が一番責任を負うべきだと考えます。

 問題の性質上、外部の者(警察など)がspam送信者一人一人を取り締まるのは容易ではありません。しかしメール送信者は多かれ少なかれ、どこかのメールサーバから送り出しているわけですから、そのメールサーバーの管理者がきちんと責任を負うべきです。実際、各メール送信者の送信記録などを纏めて保持していて、正確に把握できるのは送信側のサーバ管理者だけなのですし、サービスを提供する以上、それは社会に迷惑をかけるものであってはならず、それがサービス団体の社会倫理、いや、インターネットに繋ぐサーバ管理者達の社会倫理というもののはずです。

 プロバイダーもしくはメール提供サービス会社はspam苦情窓口を作り、そこでspam苦情を受け付けてほしいと思います。一定以上の連絡があれば、spam送信者と思われる人にメール・電話・郵便などにより、警告を発し、それでも改めない、または無実の申し出が無ければメールサービスの停止を行うべきです。

 既に一回でもspam報告があれば速攻でメールサービスの停止を行っているサービス会社もあるそうです。その一方で、何度苦情を繰り返しても反応の鈍い所や、責任を全く感じていないところもあるそうです。すなわち、まだまだ多くのプロバイダー・サービス会社で十分なspamへの問題意識がないと言えるでしょう。
 これは多くのプロバイダーがspam苦情窓口でさえまともに用意していないことでも分かるでしょう。私が考えるspam撲滅の為の体制づくりは以下のようなものです。


4●法整備の必要性

 法律とはいろいろな面があります。止めどもない「私刑」を国家が仲裁するための法。トラブルが起こったときに照らし合わせて判決を出すための法。行政を行う上でその根拠となる法。

 法律は人々を縛るためのものであると同時に、守るためのものでもあります。ですからもしプロバイダーやサービス会社が、このモラル違反的で、不快で、問題点の多い、spamメールを無くすことが出来ない、無くす根拠がないというならば、私はspamメールが欲しくない、という保護を得るために、法整備をも求めます。もし法整備をしなくてもspamが来なくて済むようになるのならそれでも構いません。

 米國では多くの州法でスパム行為が規制され、ヨーロッパでも2001年初めに欧州委員会が世界のspamの損失額を一兆円と算出しました。不快な上に金錢的被害まであるのですから、法律を制定するにせよ、しないにせよ、将来的に撲滅できない方がどうかしています。

 特に問題なのはアドレスリストの転売だと考えます。今までも住所録などが流出する問題は多くありましたが、たとえ流出しても郵送料の問題から無制限に配布物が送られることには一定の歯止めがかかりました。しかしメールアドレスは送信が容易なために流出したアドレスリストは大きな被害をもたらします。
 私はこのメールアドレスリストの流用・悪用が従来の法律で取り締まれないのならば、猥褻物への取り締まりと同様レベルの徹底した取り締まりを求めます


5●身近な人をspammerにしないために−マナー・ルールを伝え合うことの重要性

  私を含む一部の人々はもうspamへの嫌悪感を本当に嫌と言うほど味わっています。各種の掲示板への投稿も、アンチspam関係のMLへの投稿も、他の趣味の書き込みに比べて決して楽しいわけではない。

  spamという対象がなくなったら それぞれがまた本来興味のあるべき所へ戻りたいわけです。 でも多くの人々はまだspamの問題点を認識していない。その不快さを分かってない。

 現在のspamの被害者はそのことはやはり分かっておかなくてはなりません。 すなわちspammerの行為を「当然考えられない」とか「常識的でない」とかいうのは 通用しないのです。人間は自分が実際に被害にあったり、身近な人から愚痴を言われない限り、なかなかその痛みを実感しないものです。

 「常識」や「当然」というのは「既にその問題を知っているはずの人々」 の中では当てはまりますが、そうでないなら当てはまらない。 古い裁判でたしか「むじな・たぬき」裁判がありました。すなわち片方明確に狩獵が禁止されていた動物でした。しかし実は両者は方言の違いで一緒のものです。 それを知らずに狩猟をした人が逮捕され裁判になり、「あれはむじなだ。たぬきじゃない」と主張しました。その人は両者を別な動物だと思っていたのです。 結局その人は「無罪放免」でした。

 ある人にとっては「常識」ではあっても 少し離れたところの人では決してそうだとは限らないのです。裁判では「本人が違法意識でやったことでないなら罪は問えない」(自動車事故などの場合には乗車していること自体に「無過失責任」が伴います) 。 

 spamやマルチ商法なども、それを行う人が必ずしも大迷惑・違法行為であることを意識してやっているとは限りません。
 皆さん、それぞれの周りで自分がspamの被害にあっていることを話して、決してそういうことをしないよう、伝えていますか?

 子供がネットをやっている場合にはメールの書き方や問題点などを教えていますか。あるいは友人、親、兄弟にこの問題を知らしめていますか。まず周りの人々が「spammer」にはならないよう、そういう被害を受けて嫌な目にあっている人々がたくさんいることを機会ある度に散々教えあうべきです。spamに嫌悪感を示す我々が出來ることはそこからだと思います。実はあなたの「常識」はすぐ近くの親しい人にとっては「常識」ではないかもしれませんよ。その結果、実はspammerはすぐあなたの近くにいた、なんてことも実はあったりするかもしれません

 小さな私達が出來るのはそこからです。


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