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小論:spam(スパム)の問題性と今後

2001/9/4 初版
2001/9/7 1.1版
(近日更新部青色

1●始めに

 日本の法律において、現在は郵送ダイレクトメールが黙認されている。しかしインターネットメールにおいて同様のDM行為を行うことは「スパムメール」「UBE」「UCE」と呼ばれ、忌み嫌われ、かつ禁じ手とされてきた。
 スパムメールと呼ばれるものは商業目的の大量配布型メールだけではない。宗教勧誘、ボランティアへの協力依頼、選挙活動、それらの必ずしも営利目的ではない活動の為のメールでもスパムという語は使われ、ネット上の行為として認められないものとされてきた。

 この「認められない」というのは法律で禁止されているという意味ではない。インターネットのシステム上、それを安易に認めることはシステムにとって大きなダメージを与えることから到底容赦出来るものではない、という意味だ。しかし法律で禁じられていなことから、スパムを十分に抑えることが出来ず、その問題は徐々に確実に大きくなりつつあり、インターネットの健全な発展に陰を落としつつある。

 確かにインターネットの普及に伴う各種問題、トラブルは他にもある。しかしスパムメールはその目的が迷惑をかけること自体ではないため、問題が直感的に理解されにくく、「表現の自由」との問題にも絡む。しかし放置しておくとその跳梁跋扈を抑制できず、最後にはインターネット自体を極めて居心地の悪い環境に陷れる危険があり、実際にそうなりつつあるのだ。

 以下ではなぜスパムが許されないのかを解説すると共に、その将来のあるべき姿に関して提案する。

 

2●従来の広告方式とネットメールのDMとの違い

 郵送で許されることがインターネットでは許されない。これは両者が同じ土台で論じられないことを示している。広告方式には他にもチラシ配布、電話勧誘、訪問販売、立て看板、マスメディア(TV、ラジオ)利用等があり、これらは積極的にせよ消極的にせよ認められている。そのためかインターネット上でも広告や宣伝のメールを無制限に行うことが何ら問題ないと考えるネット初心者が絶えない。またネットのDM行為は法律上では未だ禁止されていない国が多いことから、問題行動であると知っていても強引に行う業者が存在する。

 従来の広告方式とネット上のスパム行為が同列で論じられないのは何故なのか。
 新聞広告やTVCMと同列に論じられないことは明確だ。それらの広告は新聞代を減らすもの、あるいはTV番組の対価として付加されるものである。新聞にせよ、TV番組にせよ、広告・宣伝があってこそ提供されるものであり、それらを「見せられる」ことで受け手は恩恵を受けている。
 インターネットにおいてそれに相当するのは無料メールサービスやホームページのバナー広告である。それらの利用者は広告が嫌ならばそれらを利用しなければいいし、それ以前に広告があってこそそれらの提供サービスが可能になっていると考えれば文句を言うことが出来ない。しかしスパムメールはそうではない。受け手がインターネットを利用する際に受け取らねばならぬ義務も義理も全くない。それどころかDM行為は「広告を受け取ることで無料」「代金を払うが広告無し」のサービス区別をなくしてしまう「ずるい」「姑息な」行為なのである。

 難しい問題となるのは郵送DMや電話勧誘との比較である。
 それらに比してネットでのDM行為が許されない理由の大きな一つは「広告量の抑制が不可である」という点だ。郵送DMにおいても勧誘電話においても、消極的に社会で黙認されているのは全体量が一定以下に抑えられており、許容範囲に収まっているからである。
 全体量を抑制する要因は第一に料金である。すなわちチラシ配布、郵送DMではその作成料金と郵送料金、勧誘電話においてはオペレーターの人件費と電話代が必要であるが、それらが広告行為が無制限に行われることを抑制している。電話勧誘、訪問販売では別な抑制因子もある。それらの広告手段はリアルタイムで個人のスケジュールに割り込んでくる点で郵送DMよりも一層送り側の身勝手な行為なのであるが、同時に一対一の働きかけしか出来ないという点で対象相手数に限界が出てくる。
 郵送DMも電話勧誘も今後何らかの要因でその量が許容限度を超えるものとなった場合、社会的に制限しようとする動きになる可能性は大きい。

 インターネットメールにおいて「広告量の抑制が不可」になるのは何故なのか。インターネットでは文面の作成料金と送信料金の面で極めて安価に送信出来るため、「大量」「同報」送信が極めて「容易」「迅速」に可能であり、広告量を無制限に許すことになってしまう。電話勧誘や訪問販売のような「一対一」の制限もない。
 さらにインターネットは匿名性が強いことから広告の「送り逃げ」が出来る。インターネットの匿名性はトラブルを多く生み出す一つの要因になっていると考えるが、スパムを助長する要因にもなる。たとえば電話勧誘では受信者は直接に文句を言うことが出来るがインターネットではメールアドレス詐称が容易であり、文句さえ拒否できるのだ。
 その結果、スパムメールは受け手が望もうが望まなかろうが何回でも送り付けられてくる。このモラルのない繰り返しの発生も広告量の増大をもたらす。特にイメージダウンを恐れないような商品の場合、一部の受け手によって購買されるのを期待し、その商品・サービスが無用な人々に与える迷惑性を徹底的に無視しながら繰り返し送ることを止めない。その結果、必然的に広告量が膨れ上がることになる。

 

3●ネットのDMの強い迷惑性

 では広告量の抑制が不可能になる結果、何が起こるのであろうか。まず受取手の立場からすると通常届く必要なメールと不必要なDMが混在するという煩わしさがある。必要なメールを不必要だと思っているメールの中から探し出すということも起こるのである。
 仕事でメールを使用している場合、メールの中からDMを捨てる作業が日常化してしまう。さらには定期的にメールボックスを監視するシステムを使っている場合、メールが届いたことで呼び出される度に実は不必要なDMばかり、ということも発生してしまう。これらが仕事能率を低下させる点で大きな問題になるのは言うまでもない。

 広告量抑制不可になった結果として起こる問題は個人の問題だけには留まらない。そもそもスパムが不可とされてきた理由はスパムがネット資源の枯渇をもたらすということが挙げられる。
 インターネットではそのシステムが有限であるということを見逃しがちである。しかしメール爆弾やシステムのループによるサーバダウンが極めて問題になるように、システムへの過負荷は正常なネットワーク運営に重大な損失を与える。チェーンメールや年賀状メールを止めようという動機には、システム過負荷を避け、真に必要な情報が滞留することがないようにという配慮が強く働いているのだ。

 スパムメールが従来早くから「排すべきもの」とされ、ネットワーク管理者の中で排除の同意が得られてきたのは実は個人の事情よりもこの「ネットワーク全体の利益に反する」点が最も強調されてきた。インターネットの運用に権限を持ってきたのはネットワーク管理者達である。彼らにとって健全で無駄のないサーバ運営は極めて重大なことだ。ところがチェーンメール、スパム(DM)メール、ループメールなどが大量に発生することは優先度の高い情報の円滑な流れを大きく阻害してしまい、トラブルの要因となる。強引に喩えれば多くの人が快く思っていない広告宣伝カーばかりが道路にひしめき、交通渋滞が発生してしまう状況を考えれば良い。
 その結果、交通整理者たるネットワーク管理者達は現在ではスパムの問題性を大体理解しており、自分のサーバでスパム送信をする者が発生した場合、警告あるいはアカウント剥奪の措置を辞さなくなっている。

 スパム問題ではインターネットにおける送信者と受信者の均等負担の特徴がその迷惑性に拍車をかけている。たとえばメールを送るにせよ、そのメールが蓄えられるのは受取手のサーバであり、最終的には受信者のコンピュータである。メールをメールボックスに取りに行く為の通信費用、通信時間、使用機器は受信者側の負担である。
 その結果、送信者側が勝手に送るにも拘わらず、インターネットにおけるDMの負担の半分は実は受信者側なのであり、受信者は自分が意図しないメールで各種の負担を払わねばならないことになる。だからこそ送信者としては「得」なのであるが、それは受信者側に負担を背負わせた上での話なのである。
 郵送DMにおいて受け取り側が紙代を負担したり、勧誘電話において電話代を折半するということはあり得ないし、許されないだろう。インターネットのDMは実は受信者にそれを押しつけているのである。

 この「受信者への負担押しつけ」は前述の受信者による振り分け作業の負担に関しても指摘することが出来る。最初に述べたような送信の簡易性により、スパム送信者は受信者の都合を考えず、マーケティングを一切考慮せず送りがちになる。すなわちメールアドレスさえ知っていれば性別、年齡がどうであれ、そしてその文章が読めるかでさえ考慮せずに取りあえず送ってしまう。
 この結果、受信者によって歓迎される可能性という本来広告活動で熟慮すべき事柄が検討されず、必要かどうかの判断も完全に受信者側に「押しつけ」られているのである。その為にスパムメールでは母国言語以外のもの、全く年齡対象となっていないもの、性別の対象となっていないもの、などなど受信者からすれば「自分にとってとんちんかん」な内容の広告メールを多く受け取ることになる。それが更に受信者の不快感を増大させることになっているのだ。
 これらの各種受取手負担は前述したようなTVCMや新聞広告ならば許される。広告主はそれだけの対価を払っており、受取手はその恩恵を受けているのだから。しかしその対価を貰っていないスパムメールにおいて受取手が上の負担を強いられる義務は全くないのである。

 

4●スパムへの根本的態度と現状、その存在のネットへの悪影響

 スパムは決して許されるべきものではない。そもそも殺人にせよ、詐欺にせよ、それらが禁じられるのは「それらを認めると社会が成り立たない」という社会全体の根本的な合意に基づいている。実はスパムメールも同様だ。
 もしもメールによる無差別広告行為が認められたらどうなるか。インターネットでは一人一人が情報発信の主体になることが出来るため、一人一人何かしら広告したいことがあるものだ。たとえば個人でホームページを作る人は多いし、さらにはメーリングリストやメールマガジンを発行している人もいる。インターネット上の活動でなくても人々はどこかの職場に属していることが多いし、その職場に関する情報が他人に知られるのに越したことはない。それらの宣伝したい気持ちをお互いの人が日本中あるいは世界中に手当たり次第メールで送り付けたらどうなるか。まさしくインターネットシステムが成り立たなくなることは容易に想像できよう。

 以上のことを考えるとスパムメールは全く排除されるべきものなはずなのだが、現在は十分な抑制がなされていない。さきほどネットワーク管理者がスパム送信者を排除すると述べたが、その対処法にはばらつきがあるし、また登録名をころころ変えながらアカウント抹消、スパム行為、再登録を繰り返すスパム送信グループが発生している。スパム送信グループがプロバイダーを渡り歩けばその実体は一層つかみにくくなる。
 スパムが法律で制限され、送信者が厳しい罰則を課したり、横断的なプロバイダーの取り組みがされない限り、スパム行為自粛はネットモラルの範疇に収まってしまう。「人が嫌がることはしない」というのが社会の中の大前提であるはずなのだが、商売をする人々は金銭的欲求の為、このモラルを逸脱しがちである。法律で制限されていないのならば送ってしまえ、という強引な人々が発生しているのである。あるいはスパムを排除すべきネットワーク管理者の中にも、顧客確保やサーバのホームページの宣伝を最優先して、ネット全体の円滑な活動に対して果たすべき義務を無視する言語同断な管理人も存在する。

 結局スパムは十分に抑制できていないし、メール人口が増える今後、更に被害は拡大するに違いない。このままずるずると根本的対策を得ないままで良いのだろうか。
 スパムの問題はインターネットの健全な発展に暗い陰を落としている。多くの人は余計なメールを貰うのが嫌な為に他人に対して自分のメールアドレスを公開することを躊躇う状況になっている。本来、インターネットの魅力の大きな一つはコミュニケーションの拡大にあるはずだ。それを十分に堪能するには個人のアドレスを安心して公開することが出来るような環境が重要である。スパムの発生はそれを大きく阻害し、「信用できる人でないとメールアドレスは教えない」となることで折角のインターネットコミュニケーションを萎縮させる状況を生みだしている。

 スパムが増えた際に捨ててしまうアドレスとして無料アドレスの獲得を勧める声がある。しかしこれは大変おかしいことであり、あくまで応急処置に過ぎない。メールアドレスは個人信用の看板である。無料メールアドレスが簡単に捨てやすいものであるという目的で使われる限り、それを教えられる人は自分が信用されていないこと、そのアドレスは恒久的でなく、その人の連絡が杜絶える可能性が常にあることを感じさせられる。そしてまた、スパムという明らかに送信行為が問題であることに対して、受信者側がメールアドレスの変更・破棄という形で対応しなければならないのは、嫌がらせを受けている際に夜逃げを常とするようなものである。

 

5●スパム規制への道

 ではスパムに対してどのような制度の確立が必要であるのか。
 私は「メール送信者追求手段の確立」「スパム行為の違法化と罰則の強化」の二本柱だと考える。

 「送信者追求手段の確立」はプライバシーの保護に関して危惧する懸念が挙がるだろう。しかしインターネットがその匿名性の強さによってトラブル・犯罪を頻発させているのは周知のことだ。インターネットはその発生経緯から十分に犯罪対策が錬られていたとは言い難い。そのシステムは各種の要因から現在の形になっただけであり、決して匿名性による居心地の良さがインターネットでの主たる特徴ではないし、特徴とすべきではないと言える。
 「送信者追求手段の確立」はインターネットでなおざりにされてきた犯罪行為の容易性にメスを入れるために必須なものである。現在もインターネットにアクセスするものはネットワーク管理者を通じて身元特定が可能であるはずなのだが、十分でないのはトラブルに遭ったときに痛感させられる。なお次世代のインターネットプロトコロルではインターネットにアクセスする者の身元が一層追求されやすい形態に「結果的に」なりそうである。
 しかしたとえ送信者の身元がはっきりしてもスパム行為自体が問題とされないのならばなんら解決にならない。現在では送信者グループがアカウント登録者名をころころ変えながらスパムを送り続けている実体があるがこれを防止するには「スパム一回でも罰金などの措置を講ずること」「それ以外の罰を講ずること」があろう。後者に関して具体的にはインターネット全体からの追放措置がある。消費者金融のブラックリストと同様な方式だ。スパムグループに参加した結果、その後自分の名前でインターネットに参加できなくなるならば大きな損失となるはずだ。
 しかしこのブラックリスト方式は厳しければ厳しいほどプライバシーの観点から問題になるため、ある程度慎重にならざるを得ないだろう。

 ブラックリスト作成母体については法律でスパムを禁じたうえで、プロバイダー業界がブラックリストを作るのが一方法。あるいはそのようなブラックリストの作成に関しても厳密に法律で取り決める方法もある。法律に基づくブラックリスト作成は国家による悪用が危惧される一方で、業界の自主的なブラックリスト作成はプライバシーが十分に保護されるかどうか、誤った登録などの際に円滑なリストからの削除手続きが行えるかなどの問題がある。

 それらのブラックリストの運用に関しては同意を得るのに若干の時間がかかるであろう。その前になすべきこととしてインターネットメールによるDM禁止を法律で明言することが重要だ。ここまで述べたように、インターネットメールのDMを通常の各種広告と同レベルで扱うことは難しく、インターネットの広告方式はオプトイン方式すなわち受信者の広告受信同意の際のみ許可されることを前提に考えるべきである。

 この問題では表現の自由の問題との絡みを無視することは出来ない。法律制定においてはスパムの何が問題なのかを明確にし、表現の自由を奪おうとする目的ではないことを十分に配慮した法律が必要であろう。
 スパム禁止法はインターネット環境全体を守るという意味で公共の福祉に沿うものである。騷音をまき散らし、マスメディアによる表現の自由の濫用が認められないのと同様に、個人レベルの多人数への迷惑行為を規制するものである。表現の自由と絡んだ極めて微妙な具体事案に関しては個々の場合について裁判所の判断を仰ぐ必要があるであろうが、現在の所は遙かにそれ以前の段階であって、その迷惑行為が野放し状態になっていること、その被害が拡大する一方であることを十分に皆が理解する必要がある。

 

6●終わりに

 米国ではスパム規制法、禁止法が州法レベルで制定されている。連邦法のレベルでは何回も討議されては全体の合意を見るまでには到っていない。
 米国では表現の自由はっきり言えば商売の自由を抑制することに対して根強い抵抗があるようである。しかしその躊躇いが結局スパムを抑制できないことに繋がっており、「スパムに埋もれる日々」を嘆く声が絶えないし、日本人の所にも米国かららしき英文スパムが多く届いている。日本が取るべきは米国の方法ではなく、広告DMをそもそも認めない欧州方式の方が優れていると考える。

 ただし米国も決してその規制に消極的なのではなく、禁止法や規制法の制定に向けて連邦取引委員会 (FTC)がスパムの動向に目を光らせていることは高く評価して良い。 日本ではインターネットを経済活性化の利用することばかり声が高く、活性化に必要な「安心してインターネットを使える環境」への整備に関しては官民共々、甚だ問題意識が低い。携帯電話のスパムメールは「迷惑メール」と名付けられて社会問題化したがこれをインターネット全体の問題と捉え、官民挙げて取り組もうという試みにまでは到っていない。

 民間主導で発展してきた情報産業で行政が旗振りをして推進することは必ずしも多くない。スパムメールの問題はネット産業が技術による対策や自社の運用だけでは容易に解決できない問題だ。こういう問題にこそ行政が積極的に働きかけ、マスコミが問題提起を広め、ネット産業全体の同意の元に解決を目指すべきことではなかろうか。
 自律分散的な情報産業ではどこかが主体的に引っ張っていく必要はない。ただ健全に発展する環境を整えられれば良いのである。


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